吉永小百合

吉永小百合(1945年<昭和20年>3月13日 - )は、女性俳優・歌手。1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修を卒業し、文学士の称号を受けた。ファンは「サユリスト」と呼称される。

 文化功労者選出時の公表写真

● デビュー
1957年(昭和32年)小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ 『赤胴鈴之助』でデビュー。1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。

〇 キューポラのある街
1962年(昭和37年) - 高校在学中に『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演。
橋幸夫とのデュエットで歌唱した『いつでも夢を』が30万枚の大ヒットとに。また、この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。
「日活の看板女優」として1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。1960年代には吉永のブロマイドが、あまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。また、松原智恵子と和泉雅子と合わせて「日活三人娘」とも呼ばれた。

● 大学
1965年(昭和40年)大学入学資格検定で、早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学を次席で卒業。 早稲田大学の女子学生をさす、バンカラで、男まさりで、活動的な「早稲女(わせじょ)」の代表的O.G.としてしばしば吉永の名があげられる。卒業論文テーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネの民主制について」であった。

〇 男はつらいよ
このシリーズでは二度出演しており、平成に入り三回目の再登場の計画もあったがスケジュールが合わず「それに、同じ役を何度もやると、私自身がマンネリになるんじゃないかと」も理由にあって頓挫。渥美清が1996年に死去しシリーズ終了後に「もう一度、出演するべきでした。最後ということが分かっていたらどんな形でも出たかった。後悔しています」と語っている。

〇 原爆詩の朗読
その後も女優として映画・CMなどへの出演に加え、原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けている。

● 酒豪
お酒好きで、1970年代前半に年末年始の恒例だった雑誌『酒』の編集長・佐々木久子や楠本憲吉らが選ぶ『11PM・女流酒豪番付』に於いて小結に選出されたこともある酒豪。1979年9月に北京で開催された「中国・日本映画祭」に日本代表団の一員として訪中した際、熱烈歓迎で連日宴会に招かれたが、岡田茂(東映)日本代表団団長を始めとした松岡功(東宝)、徳間康快(大映)、根本悌二(日活ん)ら、酒豪で鳴らす映連首脳さえ、三杯がせいぜいなアルコール度数65%もあるマオタイ酒をぐいぐいと十杯飲み干しても平然とし、並みいる酒豪連を瞠目させた。

〇 野球、ラグビー
西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部のファンとして有名である。前者については、元々読売ジャイアンツ(特に長嶋茂雄)のファンだったのが、江川事件をきっかけに、また西武グループ元オーナーの堤義明にスキーを教わったのをきっかけとして転向したものだった。また、西武ではかつて清原和博のファンでもあった。かつては西武球場時代の1994年の開幕戦に始球式を務めたこともあり、1987年の巨人との日本シリーズ第6戦ではTBSテレビの中継にネット裏からスペシャルゲストとしてイニング限定で出演したこともある。現在も筋金入りの西武ファンである。
ラグビーについては、試合観戦に通うだけでなく、毎年の夏の合宿に牛一頭分の牛肉の差し入れをしている。これは部員の間で「吉永牛」と呼ばれている。過去に早稲田大学が負けた試合をスタジアムで観戦した帰り道、落ちていた空き缶を蹴飛ばしたことがある。

● サユリスト
吉永とともに青春時代を歩んだ世代のファンは特に「サユリスト」と呼ばれた。 「サユリスト」を自認するタモリは、同じく「サユリスト」として知られる野坂昭如を指して「あの人は一時、山口百恵に走ったが、俺は小百合サマ一筋」と述べたことがある。タモリと吉永は早稲田大学第二文学部に在学していた時期が重なっており、、学生食堂で吉永が食事しているのを偶然に発見した際、吉永の食べ残しを食べようか迷った末、思い留まったというエピソードがある。
やはり、早稲田大学の後輩である小宮山悟も「サユリスト」の一人。漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」を自認する人物の一人。また、吉永も綾小路のファン。
ちなみに栗原小巻(誕生日は吉永の翌日)のファンは、 「コマキスト」と呼ばれた。

〇 受賞歴
・ 1962年 - 『キューポラのある街』のヒロイン役で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。
             (17歳での受賞は2012年時点で史上最年少記録)。
  同年、橋幸夫とのデュエット曲『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」受賞。
・ 1964年、1968年、1969年と、ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位に光輝く。
・ 1982年 - ドラマ『続 夢千代日記』に対して、第19回ギャラクシー賞・選奨を受賞。
・ 1985年 - 『おはん』、『天国の駅』の演技で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。
       以降、1989年『つる -鶴-』・『華の乱』、2001年『長崎ぶらぶら節』、2006年『北の零年』と、
       最優秀主演女優賞を計4度受賞(歴代1位)。
・ 2000年 - 『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の
       映画スター女優」でも同じく第2位になった。
・ 2003年 - 平和記念資料館のナレーションや、同じくボランティアである原爆詩の朗読などの平和活動が
       評価され、第15回谷本清平和賞」受賞。
・ 2006年 - 紫綬褒章、受章。
・ 2010年 - 文化功労者に選出。
・ 2014年 - 自身初のプロデュース作品『ふしぎな岬の物語』がモントリオール世界映画祭で審査員特別大賞受賞。
       同作で第38回日本アカデミー賞優秀主演女優賞受賞。
・ 2016年 - 第25回日本映画批評家大賞・実写部門 ダイヤモンド大賞を受賞。また、原爆詩の朗読に対し、
       第1回澄和(とわ)フューチャリスト賞(市民目線の平和関連活動への貢献を表彰する賞)を受賞。
・ 2018年 - キタデミー賞 主演女優賞を受賞。