親子三代


囲碁界で活躍する親子カップルは多い。20組を超えるらしい。 → 親子二代
その中で、四代プロ棋士の例はこちら。 ここでは三代引き続いてプロ棋士を務める家系を。

『木谷家』
○ 初代・ 木谷實
○ 二代目・木谷禮子 ・・・・・・・ 木谷實の令嬢
○ 二代目・小林光一 ・・・・ 師匠・木谷實の令嬢を娶る
○ 三代目・小林泉美 ・・・・・・・ 祖父・木谷實、父・小林光一、母・小林禮子という囲碁一家に生まれる。
   
『藤沢家』
○ 初代・ 藤沢秀行名誉棋聖  ・・・・・・・ 棋聖6連覇、通算8期
○ 二代目・藤沢一就八段。 ・・・・・・ 藤沢秀行の五男(なお、三男の藤沢嘉浩はアマチュア囲碁強豪)
○ 三代目・藤沢里奈三段。  ・・・・・・・ 藤沢一就の長女。2010年4月に当時史上最年少11歳6ヶ月でプロに。
   
『小山家』
○ 初代・ 小山鎮男 ・・・・・・ 八段、TVのクイズ番組解答者としても活躍
○ 二代目・小山竜吾 ・・・・・・ 小山鎮男の息子、六段
○ 二代目・小山栄美 ・・・・・・ 小山竜吾の夫人、六段。 女流名人位・通算4期。
○ 三代目・小山空也 ・・・・・・ 小山竜吾夫妻の息子、初段
   
『王家』
○ 初代・ 王立誠  ・・・・・・ 九段、棋聖位3連覇、十段4連覇、など。
○ 二代目・王景怡 ・・・・・・ 王立誠の娘、二段。第2回会津中央病院杯で謝依旻女流三冠を退け初タイトル
○ 三代目・王景弘 ・・・・・・ 王景怡の息子、初段
   
『羽根家』
○ 初代・ 羽根泰正 ・・・・・・ 九段、棋聖位3連覇、十段4連覇、など。
○ 二代目・羽根直樹 ・・・・・・ 羽根泰正の息子、九段。七大タイトル獲得は8期。棋聖2期、本因坊2期、
            天元3期、碁聖。高尾紳路樹、張栩、山下敬吾らとともに「平成四天王」と称される。
            本因坊や天元など七大タイトル通算8期を誇る。親子そろって七大タイトルを獲得した
            ケースは初めて
○ 二代目・羽根しげ子 ・・・・・・ 羽根直樹の夫人、初段。休業中。二男三女を育てながら普及に尽力。
○ 三代目・羽根彩夏 ・・・・・・ 羽根直樹夫妻の娘、2014年に小学校在学中に第11回文部科学大臣杯小・中学校
            囲碁団体戦で主将として優勝、2019年に高校1年でプロ初段。
日本棋院によると、親子三代でプロになった例は故藤沢秀行名誉棋聖、息子の一就(かずなり)八段(54)、孫の里菜女流三冠(20)ら複数あるが( )、現役で三代がプロになるのは初めてという。
   
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アマチュアなら、多いかもしれない。最も有名なのが:

『堀家』
○ 初代・ 祖父      ・・・・・・ 五段
○ 二代目・父/堀義人 ・・・・・・ 初段 (グロービス経営大学院学長、日本棋院理事)
○ 三代目・長男      ・・・・・・ 五段                 <段位は2016年11月現在>

  父親の堀義人氏は、潟Oローバルの社長でもある。京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。1992年株式会社グロービス設立。そうして、日本で経営学修士号(MBA)を取得できるようにと、グロービス経営大学院を開学。学長に就任。現在、経済同友会幹事等を務める。2013年6月より日本棋院理事。

▲ 日本最強の三兄弟
  堀義人氏には5人の息子がいるが、上の三兄弟はアマチュア界で特に有名。2010年現在、東京都千代田区立九段小学校生。囲碁の『日本最強の三兄弟』 と言われる:
              堀 賢人 (小6)
              堀 拓人 (小4)
              堀 和人 (小2)
 
九段小学校は、堀兄弟の活躍もあり、6年連続で東京都大会優勝、6年連続で全国大会ベスト8。そして3回全国制覇(現在2連覇中)と言う偉業を達成した。  2006年末には、三兄弟が日本棋院の囲碁大会に初めて出場<長男(9)8連勝、次男(7)負け越し、3男(5)4勝1負け>。

▲ 堀社長の囲碁修業
父親・堀義人氏は、息子達に囲碁をやるよう仕向けたものの、自分自身は仕事に忙しく手を出さなかった。それが一転して囲碁を始めたのは2001年末のこと。2002年11月40歳直前に初段になった。1年未満で初段とは畏れ入る。氏は述べている:
二つの理由で囲碁をはじめることを決めた。一つが、友人からの誘い。建設予定の山小屋の近くの友人が囲碁打ちで、「山小屋の夜の時間にぜひ一緒に打とうよ」と誘ってきたからだ。さらにもう一つのきっかけは40才という年齢がある。40才を迎えるにあたって、30代までと全く違ったことをしてみたかった。もちろん、親父が囲碁打ちであったことも 当然影響していたように思う。
囲碁は難しかった。ただひたすら本を読んだ。30冊以上は買った。最初は、簡単な初心者向けの本から始まり、中級者向けに進み、さらには上級者(初段)向けなど少しずつ難易度が高いものにチャレンジした。受験勉強みたいに、何度も何度も読み直して、できなかった場合には、赤ペンで×をつけてその問題を後日やり直した。この間、好きな読書はほとんどやめていた。未読の本が本棚にどんどん積まれていった。出張には、囲碁の本ばっかり持っていった。経営書とか歴史書とかだと慣れているので、すぐに読み終わるが、囲碁の本だと一冊読み終わるのに、十数時間かかった。そしてさらに実戦を積んでいって、理解を深める努力をした。
囲碁を始めて間もないころ、僕の知り合いの女性経営者からこう言われた:私は囲碁をはじめて1年半で初段を取ったのよ。 その言葉に、僕は鋭く反応して、対抗意識を燃やした。彼女が1年半で初段を取れたなら、僕は絶対に1年で初段だ、と心の中で意思決定した。そして、周囲にも「1年で初段を取る」と宣言してしまったのである。妻には駄目だめだったら囲碁なんか止めなさいよと言われた。
そして、夏の間は囲碁三昧。家族サービスもおろそかになり、囲碁一色になりつつあった。それでも仕事があるので、 なかなか時間がとれない。こうなると投下時間あたりの効果を最大化するために、工夫をせざるを得ない。まずは、囲碁日誌を書き、何が悪かったのかを一局ごとに振り返り、問題点を抽出して解決する努力をした。さらには、囲碁サロンにも通いはじめてインストラクターとも指導碁を打ってもらったりした。    こうして堀社長は1年未満で日本棋院から初段の免状を得るに至った。堀家は目出度く三代続きの囲碁一家となったのである。

▲ 3世代で組んだ堀チーム
2008年春、日本棋院から「第4回オールアマ囲碁団体戦」という大会がアナウンスされた。『5人一組揃えば誰でもOK』という。堀氏は妻の勧めもあって、3世代一緒に囲碁大会への挑戦を試みた。
                             主将:祖父       五段
                             副将:長男       四段
                             三将:父(堀義人氏) 初段
                             四将:次男       1級
                             五将:三男       3級
子供たちは、囲碁を始めてまだ2年経っていないというのに、堀氏は長男に棋力で抜かされていて、次男・三男とも棋力が拮抗してきていた。堀氏自身に「とっては初めての公式戦。  4チームで争う予選リーグで、緒戦は逗子開成高等学校囲碁部を相手に3勝2敗で勝利。2戦目は長谷工コーポレーション囲碁部を相手に1勝4敗で敗退。3戦目は日本IBM囲碁部を相手に全敗。残念ながら決勝トーナメントには出られなかった。